東京生まれ。「スイング・ジャーナル」誌への投稿をきっかけに21歳からジャズ、ポップスの評論活動を。
DJや司会の傍ら、65年から作詩活動を始める。(「日本のポピュラー史を語る」より)
私の一番好きな作詩家である。
1981年3月、小学二年を前に、私は生まれ故郷横浜から少し東へ転校することに なった。
時は流れ1986年。中学生になって当 時流行りのTVやラジオ番組で、色々な歌手に興味を持って音楽を聴いていたが、
ある日、TVの懐かし‟映像”でシャネルズの「ランナウェイ」を見て、「何か」を 確かめたくなり地元の新譜店へ駆け込んだ。
86年当時、その店で見つかったラッツ&スターのレコードは「Best 4 You」という12インチ・シングルのみだった。
1986年はラッツ&スターのリーダー鈴木雅之さんがソロデビューした年であり、
グループ時代のレコードは「廃盤」が進んでいたのだ。
「ランナウェイ」は故郷ヨコハマを思い出させるのに十分だったが、それ以上の曲が B面 の1曲目に収録されていたのである。
「街角トワイライト」だ。 冒頭のア・カペラがまず新しい音楽体験で、続く詩の世界も
♪琥珀色をした首筋に俺のイニシャルのペンダント~と、今までとは異なる趣きで
あった...
ショックを受けた!「別れ」を初めて感じたのだ。その時の私の場合、 相手は生まれ故郷「横浜」だったが。
湯川れい子さんは「日本のポピュラー史を語る」の中で、「私は戦争で父や母を亡 くしているせいか、戦後のアメリカの甘い香りの
チョコレートやラックスの石けんの香りっていう感じを音楽にも求めてます。」と 語っており、「街角トワイライト」や「センチメンタル・ジャーニー」で
アメリカン・ポップスの香り(=心情描写)は出し切ったとも語っている。「街角ト ワイライト」は私の中で、童謡「赤い靴」の世界ともダブった。
湯川れい子さんが、シャネルズ、ラッツ&スターに書いた数々の詩によって、私の男
心 は育てられた。
![]() 「音楽に恋をして」 評伝・湯川れい子 |
![]() 「湯川れい子の今夜もひとりかい」 湯川れい子 |
![]() 「日本のポピュラー史を語る」 シンコーミュージック 湯川れい子、鈴木雅之ほか |
![]() エミー・ジャクソン 涙の太陽 |
![]() 松本伊代 センチメンタル・ジャーニー |
![]() アン・ルイス 六本木心中 |
![]() シャネルズ ランナウェイ |
![]() シャネルズ 街角トワイライト |
![]() ラッツ&スター マドンナはお前だけ |
昭和9年(1934年)東京・築地 生れ。ジャパンタイムズ勤務を経て、推理作家、翻訳 家。
昭和37年「弁護側の証人」でオール讀物推理小説新人賞入選。(「ミステリーは私の香水」より)
昭和60年(1985年)11月
不慮の事故で亡くなる。
本の中での小泉喜美子さんとの出逢いは、一人で入った居酒屋 で、
初対面のひととの意気投合に似ていた。
日本の推理小説の 「解説」で初めてお会いしたのだが、歯 切れのよい言葉が心地良く、
読んでいて楽しい女性の文章だった。ミステリーに造詣が深いことが伝わり、
お酒の飲み方を教わるように、ミステリーはこの方から教わろうと思っ
た。
翻訳ものは、小泉喜美子さんの「語り」だと思い、一字一句を大切に読んだ。
エッセイはタイトルも洒落た「ミステリーは私の香水」を選んだ。
私もチャンドラーのフィリップ・マーロウが好きだし、小 泉喜美子さんは12回も見たという、
ジョン・フォード監督の映画「駅馬車」も、書店でDVDを購入して観た。
流石に私には古すぎる作品だったが。
「よきミステリーは香水にもひとしい。それは美酒であり薔薇でもある。」
この方の著作、翻訳は高級酒のように、ゆっくり味わいながら、何度でも読み返したい。
そのたびに、新しい小泉喜美子さんと出逢えるから。
![]() 「暗いクラブで逢おう」 小泉喜美子 新書館(昭和51年) |
![]() 「ミステリーは私の香水」 小泉喜美子 文化出版局 |
![]() 大あたり殺人事件 クレイグ・ライス/小泉喜美子・訳 ハヤカワミステリ文庫 |
![]() 「大はずれ殺人事件」 クレイグ・ライス/小泉喜美子・訳 ハヤカワミステリ文庫 |
![]() 「時の娘」 ジョセフィン・テイ/小泉喜美子・訳 ハヤカワミステリ文庫 |
![]() 「ミスター・グッドバーを探して」 ジュディス・ロスナー/小泉喜美子・訳 ハヤカワ文庫NV |
![]() 「ビザンチウムの夜」 アーウィン・ショー/小泉喜美子・訳 ハヤカワ文庫NV |
![]() 「小さな土曜日」 アーウィン・ショー/小泉喜美子・訳 ハヤカワ文庫NV |